のぼりざる(宮崎県伝統工芸品)

江戸時代から伝わる郷土玩具

延岡市 のぼりざる(宮崎県伝統工芸品)

子どもたちの健康を願って「のぼりざる」

「のぼりさる」とは、延岡に古くから伝わる郷土玩具で、江戸時代から延岡藩の武士の妻たちが手内職として作り始めたとされ、張り子の猿は菖蒲(しょうぶ)絵の幟(のぼり)にさげられ、風を受けると竿を伝って昇ります。
これは、子供の立身出世、無病息災、五穀豊穣を願ったもので、端午の節句に鯉のぼりと一緒に揚げられていました。

今では、宮崎県を代表する郷土玩具であるとともに、土産物として、また転勤する方への「はなむけ」(出世を祝う意味)として贈られています。

「のぼりざる」の由来

「のぼりざる」は、約200年前、内藤時代の武士の妻たちの手内職として始められたとされていますが、その由来には幾つかの説があります。

○ニニギノミコトが高天原にご降臨になった時、その武将として功績のあった猿田彦が、その後も粗暴な振る舞いがなおらず、アマノウズメノミコトにいたずらをしたのを戒めるため、ニニギノミコトが猿田彦を縛り竹竿の先に吊るしたことに由来する説。
※猿田彦命は勇将で、常に戦いの先頭に立って戦を勝利に導いたので、武士の間では戦の神として崇敬されてきました。

○延岡藩の旧藩主有馬公が合戦の折、背に負った馬印に猿を用い、勝利を得たことに始まるという説。

○田畑を荒らす猿を退治したところ子供の疫病が流行り、「猿のたたり」と考えた人々は「のぼりざる」を庭先に立てて供養した。すると、疫病がおさまり人々は豊作と健康を喜び合ったことに由来するという説。

「のぼりざる」の製作方法とスタイル

延岡市 のぼりざる(宮崎県伝統工芸品)

木材で猿の型を作り、その木型に和紙を何枚も張り合わせます。
その後、背を切り開き、木型を取り出し背を縫い合わせて色付けを行います。金筋入りの烏帽子をかぶり、小鼓(こづつみ)と御幣(ごへい)を手にした「三番叟(さんばそう)」のスタイルをしています。
※三番叟…歌舞伎幕開の前に行う祝儀の舞。能楽の翁の中の舞の一つ。

烏帽子と長袴は、江戸時代の武士の武服で、幟の上部の2本線は武運を、菖蒲の絵は男子の出世開運、風をはらみ昇る姿は位階が上がることにあやかっています。また、「苦労を去る」の意をもつ黒色の「のぼりざる」も作られます。

故・松本節子(まつもと せつこ)氏(宮崎県伝統工芸士、延岡市無形文化財)

昭和24年に「のぼりざる」の素朴さ、子供の成長を願う親心の表われに魅せられ、「のぼりざる」製作を手掛けた故・松本節子(まつもと せつこ)さん。大正11年延岡市生まれ。

戦災により被害を受けた学校の復興バザーに、近所に住んでいた松川サトさんの指導で「のぼりざる」を作り出品しました。それが幸運にも当時の市長・仲田又次郎氏の目にとまり、延岡を代表する郷土玩具であること、そして復興にマッチした縁起の良い作品であるとの理由で、当時としては破格の一万円という助成金が贈られました。(当時は、4人の製作者がいました。)
本格的に作り始めたのは昭和29年頃からで、さる年を翌年に控えた昭和30年には大量注文が舞い込み広く知られるになり、さらに昭和43年のお年玉記念郵便切手の図案に採用されたことから、延岡の「のぼりざる」が全国に知れ渡りました。
松本さんの作品は全国観光土産展でも入賞するなど数々の賞を受け、昭和59年には宮崎県伝統工芸士に認定され、さらに平成13年には「のぼりざる」製作技術保持者として「延岡市無形文化財」に指定されました。

平成14年6月11日に他界され(享年79歳)、現在は、松本さんの次女、橋倉由美さんが「のぼりざる」を受け継いでいます。

のぼりざるが購入できるお店はこちら

のべおか観光物産ステーション
住所:宮崎県延岡市幸町3丁目4420 TEL:0982-32-3706
のぼりざる製作所 「松本」
住所:延岡市西階町1-3717-10 TEL:0982-32-5235
市街地エリア
備考

【お問い合わせ】延岡観光協会
【電話】0982-29-2155