団七踊りとは
「ばんば踊り」には、 1人踊りと組踊りがあり、太鼓も音頭も同じである。
組踊りとして「白石噺(しらいしばなし)団七踊り」の音頭と太鼓に合わせて踊るものが、現在「団七踊り」として延岡の伝統芸能として伝承されている。
白石噺の起こり
江戸時代、三代将軍徳川家光の頃、奥州仙台藩主、伊達政宗の家老で白石城城主、片倉小十郎の領内(現在の宮城県仙台市)で起こった仇討ち物語(実話)で「白石噺(しらいしばなし)」と言われている。
農民・与太郎は二人の娘と田の草取りに出かけた。下の娘が取った草を街道に投げた折、ちょうど通りかかった白石藩の武士・志賀団七の袴に泥がかかった。
与太郎は団七に詫びるが許されず、無礼討ちにされてしまう。
命からがら逃げ帰った娘達から話を聞いた母親も、悲しみのあまり病が重くなり、後を追うように亡くなった。
残された姉妹は意を決し、田畑を売り、江戸に上り、武芸者として知られた由井正雪(ゆい しょうせつ)の弟子となる。
それから5年の間、姉は薙刀、妹は鎖鎌の修行を積み、白石へ帰ってきた。
藩主の取り計らいもあり、姉妹は見事に父の仇である志賀団七を討ち果たした…
というもので、浄瑠璃「碁太平記白石噺」の改作とみられる。
延岡の団七踊り
踊りは各地で多少異なるが、延岡では特に仇討ちの場面が踊られる。
姉・宮城野になる者は薙刀(なぎなた)、妹・信夫の役は鎖鎌、志賀団七として踊る者は刀を持ち(延岡では大小二刀を持つ)、この三人一組になって踊るものと、これに唐傘、鎖鎌を持った重ね踊りが加わる場合がある。