「日本夜景遺産」・「日本百名月」に認定された神話スポット
延岡市の中心部にある標高251mの山で、頂上付近にある展望台からは市街地を360°一望することができ、「日本夜景遺産」に認定されています。
また、「日本百名月」にも選ばれており、条件がよければ、満月が昇る日は大海原に「月の道」が浮かび上がり、夜景をより幻想的に見ることができます。
日中は、天気に恵まれ運が良ければ四国を見ることができます。
出逢いの聖地
愛宕山は、周辺の沖田・片田などに貝塚が多いことから、古代は海に突き出した半島で、元々笠沙の御碕や笠沙山と呼ばれていました。
ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメは笠沙の御碕で出逢い結婚したという伝説があり、二人の間に生まれた子供に、海幸彦と山幸彦がいます。その神話にちなんだモニュメントが設置され、デートスポットとしても人気を集めています。
愛宕山の由来
慶長年間、高橋元種が延岡築城の際(1603年)、城山の山頂にあった愛宕神社をこの山に移したことから、山の名前も「愛宕山」と改められました。
山頂は極天様(天空を極める聖地)と称して崇められた霊山で、男坂を設けて国主が直接斎主を務めたため、かつては女人禁制とされていました。
女人禁制を破って愛宕山に登った最初の女性「日向御前」
日向御前(徳川家康のひ孫で有馬直純夫人)は、島原から国替えになって間もなく延岡城から眺めているうちに、南の方角にあるどっしりとした愛宕山への登山を思い立ちました。
女人禁制の霊域との理由で側近達が止めるのも聞かず、『女と言えども人は人、人の参れぬ領域などあるものか』と即座に馬を走らせ、登ってしまいました。
以来、愛宕山のご禁制は解かれ、領内の女性も参拝できるようになりました。「奥の院極天様」に残っている鳥居の笠木は、日向御前が奉納したものです。
※日向御前は、美人ながら体が大きく武芸に長けていたため、延岡では「おてんば娘」のことを「日向御前」と呼ぶことがあります。
「延岡市」誕生の舞台となった愛宕山の秘話
工都・延岡の基礎となったのが、旭化成の前身、日本窒素肥料㈱延岡工場の立地です。その創立者・野口遵(のぐち したがう)氏は、工場を誘致する際、町を一望に見渡せる愛宕山に登り、同行した恒富村長、村会議員等の地元有志に、『工業用地として、恒富地区にこのくらい欲しい』と日向灘に面する広い海岸沿いをグルリと持っているステッキで指し示したそうです。
そこで、恒富村議員有志は、村議会で工場誘致の重要性を説き、工場用地の確保に積極的に尽力しました。
このようにして、世界最初のカザレー式アンモニア合成工場が建設、大正12年には、国鉄日豊線が全線開通し、工場発展の大きな追い風となりました。
その後、野口遵氏からの提案で、昭和5年に「三町村合併」、また遵氏がつくった工場のおかげで人口が増え、昭和8年に「延岡市」が誕生しました。
備考 | 【アクセス】東九州自動車道延岡ICから車で20分 |
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