「逢ひはせなんだか あの和田越えで 薩摩なまりの落人に」
この詩は、野口雨情が西南戦争最後の激戦の地である〝和田越の戦い” に思いを馳せて、延岡市中央通りの光勝寺を訪れた際に詠んだものです。
野口雨情とは
野口雨情は1882年(明治15年)、茨城県で生まれました。東京専門学校(現・早稲田大学)に入学し、坪内逍遥に師事しましたが、1年余りで中退し、詩作の創作活動を始めました。多くの名作を残し、北原白秋、西條八十とともに、三大童謡作詩家と言われています。
代表作は「七つの子」「あの町この町」「雨降りお月さん」「赤い靴」「青い目のお人形」「シャボン玉」「證城寺の狸囃子」「兎のダンス」「黄金虫(こがねむし)」「俵はごろごろ」の童謡の歌詞のほか「波浮の港」「船頭小唄」といった曲の作詞が有名です。
延岡市では、今山の麓に位置する岡富小学校の校歌を作詞したことでも知られています。
野口雨情は、活動をともにする作曲家であり声楽家でもあった権藤円立(えんりゅう)氏の出身地が延岡市中央通りにある光勝寺生まれということ、友人の小嶋政一郎氏や権藤正行師(延岡市中央通の元光勝寺住職)がいた事から、延岡に数回訪れています。
備考 | 【アクセス】東九州自動車道延岡ICから車で20分 |
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