延岡城の誕生
奈良時代・平安時代の延岡は、この地域の豪族である、”土持家”により支配されていましたが、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げた1590年(天正18年)秀吉の命を受けた「高橋元種」公が延岡の地に赴任し、延岡城は高橋元種により1603年(慶長8年)完成をしました。
その後、有馬時代が三代70年続き、その後、三浦氏・牧野氏と藩主が変わり、1747年(延亨4年)内藤家9代目が現在の福島県いわき市より延岡へ入封し、第16代政挙公まで延岡藩主を務め、明治維新を迎えるまで内藤家がこの地を治めていました。
千人殺しの石垣
二ノ丸広場にあるひときわ目を引く石垣は、「千人殺しの石垣」と呼ばれています。礎石をはずすと崩れ落ちて千人の敵を倒すことができるといわれる高さ19mの迫力ある石垣です。
北大手門
平成5年に復元された北口の登城門で、二の丸への入り口となっています。
城山の鐘
明治11年から、歴代の鐘守の手によって時を告げ続けてきた鐘です。毎日6時、8時、10時、12時、15時、17時の6回、時を知らせています。6月 10日の時の記念日には、城山の鐘まつりが開催されます。
城山の梵鐘
明治11年から昭和38年まで市民に時を告げてきた初代・城山の鐘が延岡城・内藤記念博物館におさめられています。
若山牧水の歌碑
城山の鐘を詠んだ歌が刻まれており、3月に牧水を偲び「若山牧水歌碑祭」が行われます。
後藤勇吉の顕彰碑
後藤勇吉は明治29年、延岡市南町に誕生。旧制延岡中学校卒業後上京し、航空学と飛行を学び、大正10年には日本第一号の一等操縦士と一等飛行士の免許を取得しました。また、大正13年には、わが国初の日本一周旅行に成功しています。
しかし、太平洋横断飛行を目前にした昭和3年、訓練中に佐賀県の山中で墜死しました。享年33歳の若さでした。短い生涯でしたが、日本航空界に多大な功績を残し、その後も大きな影響を与えました。勇吉の栄誉を称えるため、延岡城跡・城山公園に顕彰碑が建立されています。
ヤブツバキ
延岡城跡・城山公園の「ヤブツバキ」は、千葉県 いすみ市の伊能滝、島根県 松江市の松江城址とともに、日本三大ヤブツバキ群として知られています。
現在、108種、3,300本ものヤブツバキが自生していますが、延岡城跡・城山公園のヤブツバキの最大の特徴は、何といっても紅・白・ピンク・絞り・覆輪と全ての花色が揃っている点であり、10月末から4月下旬にかけて開花(見頃は 12月~3月)します。
また、延岡城跡・城山公園のヤブツバキ群は学術的に調査研究され、園芸的価値の高いものも多数含まれ、全国的視野から見ても大変貴重なものとして認められています。
桜
礎石をはずすと崩れ落ちて千人の敵を倒すことができるといわれる高さ19mの「千人殺しの石垣」を中心に、園内には300本の桜が植えられ、春になると延岡城跡・城山公園を包み込むように咲き誇ります。
インフォメーション
住所 | 延岡市東本小路2-1 延岡市役所 都市計画課 |
電話 | 0982-22-7022 |
備考 | 延岡城跡公園(延岡市東本小路) |
マップ | |
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