延岡から世界に羽ばたく 大企業へ成長
「延岡新興の母」 野口 遵と旭化成

旭化成の創始者、野口遵氏は、大正時代、工場建設の候補地を視察するため延岡を訪れました。野口氏は、まち全体が見渡せるという愛宕山の頂上から一望し、五ヶ瀬川や大瀬川から豊富な水が手に入ること、田んぼや畑が広がっていて広大な土地が確保できることなど、工場建設に適した場所であることが確認できました。野口氏は愛宕山の頂上からステッキで市内をぐるりと指し、「この土地を工場のために譲って欲しい」と地元村長や村会議員に伝えます。これを聞いた村長はすぐに土地の取得に動き、延岡への工場進出が決定しました。野口氏はその後、周辺町村の合併を提唱します。地元側はそうした難題にも積極的に協力し、恒富村や岡富村などを合併して、延岡町を発足させました。この延岡町が今の延岡市のもとになっています。つまり、旭化成がこの地に進出しなければ、今の延岡市は生まれていなかったかもしれないのです。東本小路にある野口記念館は、そうした野口氏の名前に由来したコンサートホールで、彼の偉業を称えて、館内には野口氏の胸像が設置されています。

高さ180メートル!
延岡のランドマーク

延岡市のどこに居てもその姿を確認できる、旭化成の赤と白の煙突は、延岡のランドマークとしてすっかり定着しました。延岡市旭町にあるベンベルグ工場に立っていて、煙突の高さは180mもあります。これは宮崎市のシェラトン・グランデ・オーシャンリゾート(高さ154m)より高く、宮崎県内で最も高い建造物になります。ここまで煙突が高くなった理由は、ひとつには市内に直接工場の煙が降り注がないようにという、旭化成の配慮があったからだと言われています。

この煙突からはベンベルグ工場の火力発電施設の煙などを排出していますが、最新鋭の機械が導入されており、有害物質などを取り除いた上で排出するなど、環境への取り組みも実施しています。また、1本の大きな煙突に見えますが、実はこの中には、4本の煙突が立っています。

市内を車で回ると、「旭化成」の工場が建っているのを目にします。実はこの「旭化成」は、ここ延岡市で生まれた企業です。創業者の野口遵は、地元の熱烈な誘致を受けて延岡に工場を進出し、世界で初めて延岡でカザレー式アンモニア合成法を用いてアンモニアを合成することに成功しました。この成功を機に「ベンベルグ」などの繊維製品、火薬などさまざまな製品を作り出し、今日の大企業へと発展していきました。旭化成が歩んできた歴史や、旭化成グループの製品を知ることができる「旭化成展示センター」は、見学の受け入れ(土日祝・年末年始を除く)も行っています。展示センター内には、旭化成陸上部で活躍した選手のユニフォームや、オリンピックに出場した選手のメダルなども飾られていて、スポーツファンも必見です。

工業都市延岡を生んだ「延岡新興の母」 野口遵 したがう

野口氏は石川県金沢市生まれ。大正時代から昭和にかけて、旭化成の他にも日本窒素肥料などいくつもの会社を興し、実業家として活躍した人物です。晩年には朝鮮半島にも会社を進出するなど、世界を舞台に活躍されました。延岡市の誕生に深く関わったことから「延岡新興の母」とも呼ばれています。

旭化成延岡展示センター
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住所:延岡市旭町6-4100

電話:0982-22-2070

開館時間

午前9時~12時/午後1時~4時

休館日

土・日曜、祝祭日、年末年始

お問合せ

http://nobekan.jp

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