英雄ヤマトタケルの威光を伝える 霊山「行縢山」 行縢山 むかばきやま むかばきやま
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雄岳(おだけ)、雌岳(めだけ)の2つからなる標高831mの山で、岩肌が露出した雄々しい姿が特徴です。行縢という珍しい名前は、ヤマトタケルノミコトがその名付け親で、狩猟をする際に足にまく防具「行縢(むかばき)」に山の形が似ていたため名付けた、と伝えられています。昔は、聖域になっていて霊験あらたかな場所でしたが、今では気軽に登山が楽しめ、多くの動植物が観察できる人気スポットです。

熊襲を討伐した日本神話の伝説的英雄 ヤマトタケルノミコト

第12代景行天皇の息子で、勇猛で知られた英雄です。九州を訪れて熊襲を討伐した後は、東征して日本各地を平定するなど、いくつもの武功を立てました。書物「行縢神社由来記」によると、すでに江戸時代前期には、ヤマトタケルが行縢を訪れたという神話が伝わっており、昔から行縢はヤマトタケル伝説の地として知られています。

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〒882-0053
延岡市幸町2丁目125 ココレッタ延岡 2F

18 行縢の滝

行縢山の雄岳と雌岳の間から流れ落ちる高さ77mの滝で、日本の滝100選にも選ばれた名瀑です。行縢神社入口から続く登山道を約1時間登れば、滝のすぐそばまで行くことができるので、滝のマイナスイオンを浴びて、気分をリフレッシュ。車で来る際には、行縢神社入口の駐車場が利用できます。

修験道の霊山 行縢山登山

山頂

山自体が御神体として崇められてきた行縢山は、古くから修験者が修行と称して山に登ったり、滝を利用したりしてきました。今でも滝を通じて山頂へと至る登山道が残っており、行縢神社のある登山道入口から初心者でも約2時間で登ることができます。勾配のきつい坂道が続きますが、山頂は見晴らしがよく、晴れた日は日向灘も一望できます。

熊襲(くまそ)討伐と ヤマトタケルノミコト命名秘話

ヤマトタケルノミコトは別名をヤマトオグナやオウスノミコトと言い、幼い頃はその名を名乗っていました。それがヤマトタケルと名乗るようになったのは、行縢で熊襲討伐をしたことがきっかけでした。父である景行天皇の命で九州を訪れたヤマトオグナは、まだ顔だちも幼い少年であったため、女装することで、行縢にあった熊襲の屋敷に忍び込むことに成功します。敵将のカワカミタケルは、やって来たのが女性ということですっかり油断してしまい、すきを見て襲い掛かってきたヤマトオグナに敗れてしまいますが、自分を倒した相手が幼い少年だったことを知って驚き、「あなたは以後、私の名前のタケルを取ってヤマトタケルと名乗りなさい」と、命名しました。つまり、ヤマトタケルの名前は、延岡の行縢で付けられた名前だったのです。

ヤマトタケルは、行縢の滝を見て「布引の矢筈(やはず)の滝を射てみればカワカミタケル落ちて流れる」と詠んだことから、行縢の滝は別名矢筈の滝とも呼ばれています。

19 行縢神社

行縢山の登山道入口にあり、神社の歴史はおよそ1,300年。旧延岡藩主から寄贈された県指定文化財「鉄鰐口」が所蔵されており、代々の藩主の信仰を集め、手厚く守られてきました。神社入口から100mほど続く杉林に囲まれた参道を歩いていくと、玉砂利の敷かれた美しい境内が見えてきます。

境内にはユニークな形をした狛犬や、宮崎県の巨樹百選にも選ばれているバクチノキなど、ご利益がありそうな見どころが多数存在します。

▲行縢神社参道

▲国歌の歌詞にも登場する「さざれ石」が、入口に鎮座しています。

行縢神社で ハートをゲット

社殿の軒下を見てみると、象鼻などの見事な彫刻が施されています。もしその中にハート型の彫り物を見つけることができたら、素敵な恋が叶う予感。

夫婦杉

社殿向かって右奥にある杉の木は、1つの根っこから2つに分かれて伸びている夫婦杉です。樹齢は300年で、高さ10数メートルにも及ぶ巨木です。恋人同士で手をつないで杉の周囲を時計周りに回れば、より絆が深まることでしょう。

これって狛犬?

社殿の前には、まるで犬のような、猿のような、とても奇妙な狛犬が座っています。かつて神社に寄贈された方が石を削り出して作ったもので詳細は不明ですが、その愛らしい表情から、参拝者から写真を撮られる人気者になっています。

まいの 舞野神社
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国道218号から行縢神社へと向かう途中にある小さな神社です。神社がある舞野町は、ヤマトタケルが熊襲を討伐した際、勝利の舞を舞った場所であることから

名付けられた地名で、討伐後、しばらく神社のある辺りにヤマトタケルがお住まいになられたという言い伝えも残っています。2月から3月にかけて、神社周辺の菜の花畑が一斉に満開となり、辺り一面黄色い花で覆われる美しい景色が楽しめます。

勝利を呼び込む臼太鼓踊り

島津軍の武将、平田氏が重さ40貫(150kg)の大臼を抱えて踊る姿を見た敵軍が油断し、その隙に攻め込み勝利したという逸話に由来する踊りです。平田氏は舞野に住みつきこの踊りを広めましたが、かつてヤマトタケルが勝利の舞を舞った伝説の場所だけに、勝利を呼び込んだ臼太鼓踊りが広まったのでしょう。毎年11月23日、行縢神社の秋季大祭でこの踊りが奉納されています。

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