可愛岳の麓に位置しているこの場所は、天孫ニニギノミコトの終焉地として古くから伝えられ、西南の役の折、西郷隆盛もその伝承を信じて宿陣し、その後、宮内庁からも天孫ニニギノミコトの「御陵墓参考地」として治定されている特別な場所です。周囲を柵と扉で閉ざされており、遠めからのみ、その姿を眺めることができます。春になると周囲を美しい桜の花が彩り、華やかな雰囲気に包まれます。

御陵守部 児玉剛誠さん

宮内庁から委託を受けて、御陵を守る役職「御陵守部」に就いています。西郷隆盛宿陣跡資料館そばの西南の役石碑など、歴史の案内もしてくれます。

▲宮内庁支給の制服を着用した児玉氏

延岡で政府軍との激戦を繰り広げた明治の偉人 ニニギノミコト 詳しくはコチラ 西郷隆盛

薩摩(現在の鹿児島県)藩士で、明治維新の立役者と言われている人物です。明治10年、西郷隆盛を盟主にして起こった「西南の役」では、政府軍と戦いながら九州各地を転戦し、最後は延岡市北川町の可愛岳の麓に宿陣します。すでに敗戦濃厚だった西郷隆盛は、この場所で天孫ニニギノミコトとの時空を超えた出会いを果たしたことで、何とか鹿児島まで帰ることに成功するのです。

西南の役 和田越決戦場
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かつて和田越一帯は、西南の役で薩摩軍3千5百人と官軍5万人が雌雄を決した場所でした。国道10号の和田越交差点から山の方へと上がっていく旧道を車で3分ほど進むと、西郷隆盛が初めて陣頭指揮を執った場所に「和田越決戦之地」の文字が刻まれた石碑が建てられています。

コースお申込み・問合せ

延岡観光協会

TEL : 0982-29-2155

〒882-0053
延岡市幸町2丁目125 ココレッタ延岡 2F

えのたけ 可愛岳
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日本書紀によると、天孫ニニギノミコトは「筑紫の日向の可愛の山陵に葬りまつる」と記されています。まさにその記述と同じ名前をしている可愛岳は、天孫ニニギノミコトにまつわる伝説のほかにも、巨石にまつわる伝説や西郷隆盛にまつわる伝説など、不思議な言い伝えが数多く残されており、歴史ロマンあふれる場所です。麓から山頂までは、片道3時間以上の険しい山道になっています。

天孫ニニギノミコト・西郷さんの横顔

離れた場所から可愛岳を見ると、まるで寝そべっている天孫ニニギノミコトか西郷さんの横顔のように見えるという噂が。確かによく見てみると、天に向かって突き出した山頂の2つの峰が、鼻とあごの部分に見えてきます。家田地区の方向から見ると、その表情がよく分かります。

可愛岳山頂の鉾岩

可愛岳の登山道には、ストーンサークルなど神秘的な巨石が点在しています。特に山頂に立つ鉾岩は信仰の対象にもなっており、この岩の周辺一帯が天孫ニニギノミコトの御陵墓と伝えられています。

天孫ニニギノミコトと西郷隆盛の時空を超えた出会い

明治10年、明治政府に反旗をひるがえした士族たちの反乱「西南の役」が起こりました。同年8月、西郷隆盛率いる薩摩軍は、現在の延岡市和田越にて山縣有朋陸軍中将率いる政府軍と相対し、「和田越の決戦」と呼ばれる激戦を繰り広げました。善戦むなしく薩摩軍は北川方面へ敗走し、現在の西郷隆盛宿陣跡資料館にあたる児玉熊四郎邸に宿陣します。この児玉邸は天孫ニニギノミコト御陵墓参考地と隣り合うように存在している場所です。西郷隆盛が宿陣した民家と、天皇家の祖である天孫ニニギノミコトの御陵墓が、こんなにも近くにあったのは一体なぜでしょうか?

時空を超えた出会いが西郷を救った

西郷隆盛はこの御陵墓が天孫ニニギノミコトの御陵墓であると知っていたのです。山縣有朋率いる政府軍が、天皇家の祖先神である天孫ニニギノミコト御陵墓に向けて鉄砲や大砲を打つことはできないと知っていて、ひとときの安息を得たのです。西郷隆盛は児玉熊四郎邸で軍議を開き、軍隊に解散布告令を出しました。その後、自身の着ていた陸軍大将の軍服を焼き、可愛岳を突囲して祝子川や高千穂を抜けて九州山地を南下し、故郷の鹿児島へと帰っていきます。西郷隆盛が何とか鹿児島まで帰り着けたのは、この天孫ニニギノミコトとの「時空を超えた出会い」がもたらした奇跡にほかなりません。

可愛権現神社 えのごんげん

大昔、紀元前にはすでに可愛岳山頂の鉾岩付近まで、人々が参詣していたそうです。現在はあまりに道が険しいため、麓のこの場所に移されましたが、今でも天孫ニニギノミコトが祀られていて、神々の伝説やパワーを現代に受け継いでいます。

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焼かれた軍服

この邸宅の庭で、陸軍大将の軍服と重要書類等を焼いた。当時の資料をもとに再現された軍服が展示されています。

西郷隆盛 宿陣跡資料館
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和田越の決戦にて敗北を喫した薩摩軍は、北川町へと敗走し、可愛岳麓の児玉熊四郎邸に宿陣します。その邸宅が現在は資料館になっており、さまざまな資料を展示しています。西郷隆盛は、鹿児島まで逃げのびるため険しい可愛岳突囲を計画するのですが、その時の会議が人形で再現されていて、緊迫したようすが伝わってきます。(上記エピソード欄参照)

桐野利秋(人斬り半次郎)の刀

桐野利秋は西郷隆盛の側近で、西南の役の実質的な総司令官として陣頭に立ち、勇猛な戦いぶりで隊を導いた。北川に敗走後は児玉初治邸に宿陣。その御礼に贈ったとされる刀で、子孫の岡田眞知子氏から市へ寄贈され、資料館に展示されています。

お問合せ

住所:延岡市北川町長井6727 電話:0982-46-2960

定休日:年末年始(12/28〜1/3) 入館料:無料

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