江戸時代後期、宮野浦地区で疫病や火災が頻繁に起こったことから、当時の交易で富を得た宮野浦の中野忠之丞の発願で四国霊場八十八ヶ所を勧請されました。文政2年(1819年)に、四国八十八ヶ所の、土と延岡で刻んだ石仏を船で搬入したのが由来と伝えられています。内藤家文書によると、大師像の設置については、中野忠五郎という人物で、設置した年は文政9年(1826年)といわれています。遍路のスタートとなる一番札所は、集落の玄関口に建つ高さ約5メートルの「修行大師」。八十八番大師までは、約12km、標高差約200mのお遍路道で高低差のある道のりですが、地区の人たちによって整備されており、比較的歩きやすく、子どもから大人まで幅広い年齢層が巡拝しています。毎年旧暦の3月21日に行われる「宮野浦八十八ヶ所大師祭(お大師さん)」には、市内外から白衣に袈裟姿をした大勢の「お遍路さん」が詰めかけ、地区内では旧暦7月21日にも大師祭が行われます。