薩摩軍が町内の「吉祥寺」に宿陣した際に、当時の住職である一山和尚が「そばがき(蕎麦粉を熱湯でこねて餅状にした食べ物)」でもてなしたところ、西郷隆盛が大変喜んで何杯もおかわりをしたと伝えられています。その蕎麦がきを再現しようと、同じ北川町で育てられた蕎麦粉を中心に宮崎産の蕎麦粉でつくられた「そばがき膳」が道の駅北川はゆまレストランに新登場。ひと口頬張るだけで、体全体に蕎麦の香りが広がる豊かな風味を体感できます。

薩摩軍と官軍が戦った最後の激戦地。西郷隆盛率いる薩摩軍約3千5百人は、山縣有朋中将指揮する官軍約5万人に決戦を挑みますが、物量に勝る官軍の攻撃に耐えられず北川方面に敗走しました。その後薩摩軍は高千穂や神門などを経由して鹿児島に戻りましたが、西郷たちは鹿児島の城山で自刃し、西南戦争は終結したのです。

祝子川温泉から800m程進み、240段の石段をのぼりきると、巨岩が目前に現れます。高さ24メートルと15メートルの巨岩が支え合って岩屋を形成し、その隙間に約2メートルの真三角の岩が鎮座している不思議な光景から、祝子川で幼少期を過ごした、山幸彦ことホオリノミコトの岩屋ではないかと伝えられており、大迫力の景観と、その神秘性からパワースポットとして注目されています。

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