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薩摩軍は北川の可愛岳ふもとに敗走し、西郷は児玉熊四郎邸に宿陣。現在は資料館として当時の様子や資料が数多く展示されている。この邸宅で行われたであろう軍議の様子が再現されており、緊迫した様子が伝わってくる。

焼かれた軍服

西郷隆盛宿陣跡資料館

桐野利秋は西郷の側近として知られ、西南戦争の実質的な総司令官として陣頭に立ち、勇猛な戦いぶりで隊を導いた。北川に敗走後は児玉初治邸に宿陣。その御礼に贈ったとされる刀で、子孫の岡田眞知子氏から市へ寄贈され、本年(2018年)9月より資料館に展示された。

桐野利秋(人斬り半次郎)の刀

この邸宅の庭で、陸軍大将の軍服と戦死者などの書類を焼いたと言われる。当時の資料をもとに再現された軍服が展示されている。

問い合わせ

西郷隆盛宿陣跡資料館

住 所:延岡市北川町長井6727 電 話:0982-46-2960

開館時間 9:00~17:00 入館料:無料

休館日:年末年始(12/28~1/3)

桐野利秋が2日間宿営した児玉初治宅(現:岡田宅)。解散布告令が出され可愛岳突囲戦の出発地となった。

菊次郎加療の地

桐野利秋宿営の地

先の戦いで負傷した西郷の息子菊次郎が加療した場所。西郷の妻・イトが看病に訪れ、西郷が家族に永遠の別れを告げた場所でもある。

北川陵墓参考地

可愛岳の麓に御陵墓がある

天孫ニニギノミコトの御陵墓として古来より北川住民が守り続けている神聖な場所。実は西郷は宿陣した児玉邸に隣接する場所が御陵墓だと知っており、政府軍が天皇家の祖先神である天孫ニニギノミコトの御陵墓に向けて銃や大砲を打つことができないと考え安息を得たという。西郷隆盛と天孫ニニギノミコトが時空を超えた出会いがあり歴史ロマンあふれる舞台である。

西郷隆盛青空テーマ館とは

延岡市北川町俵野は、西郷隆盛が西南戦争和田越えの決戦で敗れた後に本営を置いた場所であり、西郷隆盛にとって大きな「決断」、「出逢い」、「家族愛との別れ」という3つのドラマが生まれた場所。このような西郷隆盛にとって重要なドラマが生まれた場所である俵野地区には当時の家がそのまま残されていることから、この地域を“青空テーマ館”と称して分かりやすく紹介している。

漫画家

しいやみつのり

(延岡観光大使)

延岡市出身

10代で漫画家を目指して上京。少年キング増刊号に掲載された『スッポンくん』でデビュー。

昭和48年にフジオプロに入社し、約12年間アシスタント生活を送り、フジオプロ第3期・チーフアシスタントを務める。独立後はおもに入門書、歴史もの、企画ものなどの漫画・イラストを描いている。

代表著書(作画を含む)

『日本の歴史年表事典』『すこやかベビーの育て方』(小学館)

『マンガ塙保己一 目で聞き、耳で読んだ』(青雲社)

『夢を追いかけろ!』(クリエイツかもがわ)

『漫画版 誰も独りでは生きられない』(柏艪舎)

『マンガ若山牧水』(大正大学出版会) 他、多数

和田越決戦となった理由とは!? 最後の軍議の内容とは!?

包囲したにも関わらず、政府軍が攻撃しなかったその訳とは!?

西郷が愛した家族との絆……。

西郷隆盛宿陣跡資料館やニニギノミコト御陵墓参考地、西郷菊次郎加療の地を巡るだけでなく、北川町俵野地区で西郷が何を思ったか、西郷を囲む人々が何を感じたかなど、パンフレットやガイドブックでは伝えきれないスポットや秘話を、有料ガイドならではの視点でご案内  。

※16名以上およびツアー団体様によるお申し込みは料金が異なりますのでお問合せ下さい

一般社団法人 延岡観光協会

http://nobekan.jp/nobeokaguide/

☎ 0982-29-2155

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