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願いを込めて一緒に鐘を鳴らし、ご縁がいつまでも続くよう、鍵かけモニュメントに鍵をかける

日本で最初に「出逢い」が

生まれた聖地

“天孫ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメが出逢い結ばれた”というロマンチックな神話が残っていることから、「出逢いの聖地」と呼ばれている。登山道入り口から山頂にある駐車場まで車で5分。そこから歩いてすぐ、延岡市街地を一望できる展望台は、2人の神様も眺めた笠沙岬からの景色を見ることができる場所。

 展望台から眺める景色は、夜になれば一変。県内で唯一「日本夜景遺産」にも選ばれた、キラキラ輝く夜景が広がり、一層素敵なムードが漂う。特に満月にもなると、月の明かりで海面に光の道が浮かび上がり幻想的なひとときを楽しむことができる。

「愛宕神社奥宮」が立つ山頂。神社に飾られている陣幕には、笠と笹の絵が描かれていて、この場所が笠沙(笠と笹)であると伝えられている。天に近い「極天」なら神様にも声が届きやすく、お願いごとにはピッタリの場所。

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延岡観光協会

TEL : 0982-29-2155

〒882-0053
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延岡市観光戦略課

TEL : 0982-34-7833

〒882-8686
延岡市東本小路2番地1(3階)

時空を越えた運命の出会い

 明治10年、明治政府に反旗をひるがえした士族たちの反乱「西南の役」が起こった。同年8月、西郷隆盛率いる薩摩軍は、現在の延岡市和田越にて山縣有朋陸軍中将率いる政府軍と相対し、「和田越の決戦」と呼ばれる激戦を繰り広げるが、善戦むなしく薩摩軍は北川方面へ敗走し、現在の西郷隆盛宿陣跡資料館にあたる児玉熊四郎邸に宿陣する。この児玉邸は天孫ニニギノミコト御陵墓参考地と隣り合うように存在している。西郷隆盛が宿陣した民家と、天皇家の祖である天孫ニニギノミコトの御陵墓が、こんなにも近くにあったのは一体なぜなのか?西郷隆盛はこの御陵墓が天孫ニニギノミコトの御陵墓であると知っており、山縣有朋率いる政府軍が、天皇家の祖先神である天孫ニニギノミコト御陵墓に向けて鉄砲や大砲を打つことはできないと考え、ひとときの安息を得た。西郷隆盛は児玉熊四郎邸で軍議を開き、軍隊に解散布告令を出す。その後、自身の着ていた陸軍大将の軍服を焼き、可愛岳を突囲して祝子川や高千穂を抜けて九州山地を南下し、故郷の鹿児島へと帰っていく。西郷隆盛が何とか鹿児島まで帰り着けたのは、この天孫ニニギノミコトとの「時空を超えた出会い」がもたらした奇跡にほかならない。

住 所:延岡市北川町長井6727

電 話:0982-46-2960

休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)

入館料:無料

 和田越の決戦にて大敗北を喫した薩摩軍は、北川町へと敗走し、可愛岳ふもとの児玉熊四郎邸に宿陣する。その邸宅が現在は資料館になっており、さまざまな資料を展示している。西郷隆盛は、鹿児島まで逃げのびるため険しい可愛岳突囲を計画するのですが、その時の会議のようすが人形で再現されており、緊迫した空気が伝わってくる。

 天孫ニニギノミコトの終焉地として伝えられ、この可愛山陵(えのさんりょう)は宮内庁からご陵墓参考地として認定されている。可愛岳の鉾岩をめぐる登山も人気。

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